新撰組屯所

2004年の大河「新選組!」にハマりっぱなしの新選組ファンです♪副長が大好きです(^^)v

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龍馬暗殺犯、判明(?)其の二

緊急告知です。
”其の二”に行く前に一つ情報を。

コメント欄で教えて頂いたのですが、

”明日 6月4日(金)京都岩倉、三縁寺にて 池田屋戦没者の法要が営まれます”との事。
年々、参加者数が減少傾向にあるので、御都合のつく方はどうぞお参り下さい、との事です。

ちなみに、三縁寺(さんえんじ)さんの写真が大きく載せられているブログを見つけました
ココ

参加してみようかな、と思われる方へ

法要が始まる時間は午後二時だそうですが、行き方など詳しい事は、個人的にお寺さんへ電話を掛けるなりされてお調べ下さい。
電話番号は、「京都 三縁寺」で検索すれば、出て来ます。
(万一、不都合が有ってはいけないので、ここへは載せません)

以上、告知でしたm(__)m

では、”其の二”


番組中では、石原良純さんと、歴史学者の磯田道史さんのお二人が龍馬の足跡を辿って行くんですが、、、

龍馬暗殺犯人については、諸説有りますよね。

以下は、磯田さんが仰っていた事なんですが、

一つには、土佐藩説。
”土佐の後藤象二郎が、大政奉還の功績を一人占めしたかったから”

でも、龍馬は、薩摩藩との政治的生命線を繋ぐ存在ともいえる龍馬に対して、これはちょっと考えられない、との事。

次に、薩摩藩説。

”武力による倒幕に固執している薩摩藩が、平和的に解決しようとする龍馬が邪魔になったのではないか?”

でも、薩摩にとっては、幕府を倒しやすくしてくれた龍馬を殺す必要はないし、もし殺すつもりなら、
路上でやればいい事で、なにも、やりにくい場所でやる必要はない、との事。

そこで、

磯田さんは、龍馬暗殺犯を、”大政奉還を最も憎悪していた組織”ではないか、と推理されています。

”大政奉還を最も憎悪していた組織”、、、それは、京都守護職。

つまり会津藩ではないか?との事です(^_^;)


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当時、京都守護職の下には、京都所司代、京都町奉行所、見廻り組、新選組の4つの組織が有り、磯田さんが仰るには、
この中で考えられるのは、見廻り組と新選組、との事。

で、新選組説。

龍馬が暗殺された直後から、やったのは、新選組じゃないか?と囁かれていたんだそうです(ー_ー)!!

が、元隊士の証言の中に、当時の局長の言葉として、
「龍馬を暗殺したのは俺たちだと思われてるから、皆気をつけるように」というのが有ったんだとか。

これは、新選組はやってないっていう証拠なんじゃないか?と磯田先生(^^)v

そして、見廻り組説。

”其の一”で書いた幕府の要人、永井玄番の屋敷に程近い所に、見廻り組の佐々木只三郎宅が有り、

永井邸に足しげく通う龍馬は、会津藩が承服出来ない事をどんどん進めていく!
こんな龍馬に対して、会津藩は焦ってたんじゃないか?

と、これは”磯田的謎の読み解き”なんだそうですが。

今まで、会津藩が何度も出て来ましたが、会津藩イコール容保公、と思いがちですよね?

では、龍馬暗殺を指示したのは、容保公!?

いえいえ、当時、会津藩には、何人もの”公用方”が居たらしく、そのトップが、”手代木直右衛門(てしろぎすぐえもん)”という人。

この人は、「新選組!」にも出て来ましたが、佐々木只三郎とは、兄弟の関係です!


長くなりそうなので、記事を分けます。
”其の三”に続きます。


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この記事へのコメント

明日6月4日 PM.2時~

あさぎさん、「緊急告知」 ご丁寧にどうもありがとうございます。<m(__)m>

法要は午後2時からとのことです。

私も参列は無理ですが、心ある方どうぞよろしくお願いいたします。

  • 20100603
  • 閑山亭石翠 ♦u13ZVev.
  • URL
  • 編集 ]
閑山亭石翠さんへ

こちらこそ、教えて下さり、有り難うございました。

二時からですか。
後で記事を修正して置きます。
たくさんの方が参列して下さるといいですね(*^_^*)

薩摩藩は、何が何でも武力討幕を考えていたから、龍馬の動きがイヤだったのは確かでしょうね。
佐幕派の可能性が高いといわれていますが、広い視野でみると、徳川家を残そうとしてくれている龍馬を倒すのもどうかなー、という感じ。
この時期の龍馬は、いろんなところから狙われていたという感じですね(>_<)

MAHHYAさんへ

>徳川家を残そうとしてくれている龍馬を倒すのもどうかなー、という感じ。

そうですよね、、、

当時は龍馬さん、周りが敵だらけでさぞかし大変だった事と思います(-_-;)

こういう番組があったんですか。知りませんでした。
見回り組の犯行というのが、定説っぽくなっているけれど、本当はどうでしょうね。
それにしても、引っ張りますね。
筆者も負けそうです。

NOォ~~~www

金曜14:00なんて、群馬在住の・・・しかも、これから仕事の俺には・・・絶対無理ポ・・・orz
今から仕事までの時間をフルに使って、俺が顔出してる色んなブログに要請しまくりたいと思います。
いつも仕事が終わってからチェックするブログを、今日に限って仕事前に見た事を幸運に思います。
でわ V(#ー_^)♪

  • 20100603
  • Yoshua ♦-
  • URL
  • 編集 ]
桃源児さんへ

はい♪有りました(^^)v

>見回り組の犯行というのが、定説っぽくなっているけれど

はい、もう決まりです(*^_^*)

引っ張ってます?
いえいえ、桃源児さんに比べれば可愛いもんです(^^)v

Yoshuaさんへ

お仕事、お疲れ様です。

Yoshuaさんがこのコメント返しを読まれる時は、もう既に色んな所で要請して下さった後だと思いますが、、
そのお気持ち、大変嬉しいです!
有り難うございましたm(__)m

新選組は3人

只今法要の最中だと思いますが、池田屋で刀死した新選組隊士はその後傷を患って死んだ者を含めて3人。
奥沢新三郎、安藤早太郎、新田革左衛門。
玉虫左大夫の「官武通紀」では、
会津=5人
彦根=4人
桑名=2人
松山=少々
淀 =少々
攘夷志士=即死7人 重傷の為の死者多数、
と書かれています。
果たして今回の法要は、何処が主体で行っている者なのでしょうか?
戦死者を哀れむ地元住民の方達のご配慮だと嬉しいのですが...。

PS:
池波正太郎の「幕末新選組」は、俺が土方ファンだから言うのですが、副長LOVEな人は受け入れ難い内容です。
色んな視点から時代考証すると言う意味で読んで損は無い作品ですが、その事を頭の片隅に置いてお読み下さい。

  • 20100604
  • Yoshua ♦-
  • URL
  • 編集 ]
三縁寺法要

あさぎさん、こちらのブログに載せて頂いたお陰で?今年の参列者は13名という盛況ぶりだったようです。
「緊急告知」お世話になりましたこと、感謝しております^^

>Yoshuaさん はじめまして。
法要は三縁寺が三条から岩倉へ移転してから30年、毎年お寺と有志の檀家さんとで執り行われているようです。
6月4日午後2時~という日時は30年間変更ないとのことなので、来年は土曜日ですので、ご都合がつけば是非ご参列下さい。

  • 20100605
  • 閑山亭石翆 ♦u13ZVev.
  • URL
  • 編集 ]
ご丁寧な返信、悼みいります。

>関山亭石翠さん
ハンドルネームが間違っていたら、スミマセン。
池田屋法要の詳細をお教え下さり有り難うございます。
自分はナイトウォーカー(夜間生活者)20年生でして、昼間出歩くことはほぼ無いのですが、50になったら店を誰かに任せて日本中を旅してみたいと思っております。
もちろん行き先は、幕末の史跡巡りです。V(#ー_^)♪
今回教えて頂いた法要も、スケジュールに是非入れたいと思います。

  • 20100606
  • Yoshua ♦-
  • URL
  • 編集 ]
Yoshuaさんへ

「幕末新選組」について

>副長LOVEな人は受け入れ難い内容です。

そうなんですね!?
いつか読む機会が有りましたら、Yoshuaさんのコメントを思い出すことにします(^^)v

閑山亭石翆さんへ

ウチの記事のお陰かどうかは分かりませんが(^_^;)
13人ですか!?
去年よりは多かったようですね!
良かったです(*^_^*)

無教養な物書き氏

149回忌の池田屋殉難法要が今年も三縁寺であった。
焼香を順次を行う先ず始めに、島根県出身の45歳の地理歴史研究氏が焼香に際し、仏祭壇にお布施(読経料)を供えた。
続いての焼香に何人かのお布施が並ぶ。

不思議な違和感をそこで気付いた。

なんと、お布施、読経料と供えられたのがすべて逆になって置かれているのだ。

神式の榊を備えるのが逆なのはわかるが、はてこれは正しいのか?

聞けば、皆さんどうやら、一番はじめのオタッキーな地理歴史研究者氏にならっている。

島根と京都の違いはあれど、普通からすれば非常識にもほどがある、異説はお寺に失礼この上もない。

非常識はこれに止まらない。
まずは縁者大高勝美氏が筆頭に焼香だろう。そして留め焼香だ。

そして法要にも関わらず、蒸し暑いさなかで別に悪くはないが、白いワイシャツ姿である、せめて焼香、墓前読経には、上着を着用するか黒っぽいネクタイだろう。

それにもまして、浄土宗での法要に対する数珠の持ち方も作法に外れる。

売文著述家として、考察のない古高臨書書簡を評価しつつ、立派な分別ある事を書きながら、分別の思慮に欠くのはいけない。

逝去した人物の遺族の方から、ごっそり資

無教養な物書き氏

実は、龍馬惨殺の折りの名刺には中岡日記にもその名がある十津川F・Tの名前が利用されて記されていた、と子孫が発表している。
その発表誌は、司馬遼太郎氏も理事をしていた立派なクォータリー会報誌で、どうやら、まだまだ世に知られていない事が少なくないようだ。

2013年池田屋殉難法要150回忌に期待する

子母澤寛氏を八木家に橋渡しした寺井萬次郎氏以来、京都で40年近く維新史を語り継いで来た京都維新を語る会辺りが中心になり、池田屋子孫入江家数人(ホテルマン等)に出席頂いて、2013年の150回忌を執り行っていただきたいものです。

友人の友人入江氏が近年京都に戻ったとかで、ぜひ出席願いたいと思うばかりです。

それにしても、池田屋入江家になぜ贈位がなかったのでしょうね?

松里勇子さんへ

長文コメント、心して読ませて頂きました。
有り難うございました。

  • 20120620
  • あさぎ ♦-
  • URL
  • 編集 ]
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